令和2年7月26日 瞽女さんに出逢う
旅の途中、ほくほく線の「鍋立山トンネル」抜けて直江津から何とはなしに高田で途中下車。そこで瞽女に出逢ってしまったのです。
瞽女(ごぜ)とは「それほど昔ではなかった」明治大正昭和の時代、日本各地で村々に唄を届け情報を届け幸せを届けていた立派なエンターテイメントです。今でいうなら、モー娘。みたいな芸がしっかり出来るアイドルでした。そのモー娘。が家の前で門付け(少し唄って宣伝)してくれて近所の大きな家でライブする。そんな夢のような滅茶苦茶楽しいことがあったのです。テレビもなくて娯楽がなかった時代とかいうけど、そんなことは無く、それほど昔ではなかった時代に瞽女という素晴らしい娯楽があったのです。それは世界に誇れる日本の文化です。
しかし、瞽女を知らない人や知っていても不幸な障がい者で可哀想な人達と思っている人がほとんどだと思います。しかし、瞽女さんに逢えば逢う程そんなことは無く、逆に娯楽の少なかった村々に楽しみや幸せを届けてくれた来訪神(らいほうしん)の様な存在で、村の老若男女が瞽女さんが来るのを楽しみに暮らしていたんだと思うようになりました。
瞽女との出会い
1999年5月 TOKYO STATION GALLERY
「失われし心への旅 斎藤真一 展」
天童市「出羽桜美術館」
令和2年夏 上越市高田で瞽女さんと再会
瞽女ミュージアム高田
高田世界館 映画「瞽女GOZE」
令和3年4月24日~25日
瞽女さんの「妙音講」で
新潟県長岡市へ
長岡の唯敬寺に着いてノボリが出てて良かったと受付で千葉の井出ですと元気よく挨拶すると…ちょっと動揺した感じ。まあわざわざ遠く千葉から来たのだから驚かれるのも仕方ないか。ご住職のありがたい法話を聞いて瞽女唄聴いて感動した良かった。そして最後に事務局長の閉会の挨拶聞いて…ガーン😱
今日はコロナ禍で新潟県外の会員は全てお断りしていたと、どうりでいつも来ている人が居ないと思った。まあ仕方ない、もう来ちゃったんだもん。外で事務局長さんにお詫びしてついでに瞽女さんのことを30分位立ち話して、その間、瞽女さんが高級車で去って行ったのは少し笑えるけど。
現在の「瞽女さん」は盲目では無い、素敵なお嬢さまお姉さまで瞽女唄を継承し唄い語ります。とっても素敵な妙音講でした。
令和3年5月16日
上越市天林寺高田瞽女妙音講
「妙音講」とは
「かつて5月13日は瞽女にとって絶対に欠かすことの出来ない妙音講の日でした。瞽女の護り本尊の弁財天を祀る寺町の天林寺で弁天様をご開帳してもらい歌を奉納したり食事をいただいたりしながら一日過ごす妙音講。そして住職さんに「瞽女式目」を朗読してもらうのが一番大切な儀式だったそうです」(瞽女ミュージアム高田HP)
4月に長岡瞽女の妙音講に参加。今日はとにかく月岡祐紀子さんの瞽女唄が最高に良かった。天林寺とミュージアムで2回聴けてホールや寄席で聴く三味線と唄とはまた違う生唄三味線はイイね。